令和元年11月20日(水)今日のこと

今の時間は17時07分 今日も日が暮れ終わろうとしている
お母さんが倒れて病院に運ばれてから一週間たった

この一週間を振り返ってみる

14日の木曜日の午前4時40分頃 自分は出勤のために家を出る いつもこの時間はお母さんは起きてる。自分のために青汁を作って用意してくれている。自分は起きてから着替えたり歯を磨いたり髭をそったりで10分くらい使う。そして玄関で見送ってくれるお母さんに行ってきますを行って家を出る。今週末は有給をとって5連休 そして旅行が待っているので気持ちは高まっていた。お母さんもいつもどおり元気だし、自分が旅行でいない時間に叔母さん(お母さんの妹)が泊まりに来てくれる。お母さんは妹の美佐ちゃんが来てくれるのをものすごく楽しみにしている。なので安心して旅行ができる。そんな気持ちをずっと持っていた。木曜日仕事が終わりいつもどおり食堂でお茶会をして17時頃帰宅準備をするためロッカーに行く。いつもはチェックいないのだがこの日はなにげにスマホを開いた。同居している2番めの姉から着信と留守電が入っていた。お母さんが救急車で運ばれ入院したことを知る。すぐさま病院に向かった 高速を使った、だが不思議と焦る気持ちがなかった。病院に行くと2番めの姉がいて入院の手続きはしてくれたようだ。2番めの姉は知的障害なので全て理解せずに同意書にサインしてしまった。その時に一番問題だったのはもしものときは延命をしないということを承諾してしまったこと。入院の手続きは全て終わっていたわけではなく看護師さんから話を聞いてサインをしていた。話を聞いていると、もう意識が回復することはない 瞳孔が開いてますから。もとに戻ることはありません 助かりません。・・・絶望的な言葉を散々聞かされた。サインする手が震えてきて書けなくなってきた。少し時間をもらって お母さんに合わせてください と頼んだ。了承してくれてベッドに案内してくれた。朝送り出してくれたお母さんとは別人かと思うくらい変貌していた。顔はむくみ上がっていて口でなんとか呼吸している状態だった。体が震えた こんなにむくんじゃって・・っとぼそっと独り言を言ったら 看護師さんはそばにいて そうなんですか? と言っていた。 書類の手続きを終えた後に一番上の姉が来た。お母さんの病室に案内した。自分はもう見れなかった。ロビーで2番めの姉と待っていた。その時に2番めの姉になんでそうなったのか聞いてみた。午前中お母さんが気持ち悪いと言い出し一度蓮田病院に来た。外科の先生が見てくれたところ大腸が肛門から飛び出ているから手術が必要だという話をし手術日の日程を決めたそうだ。その後MRIを受けたそうだがもんだいなかったそうな 一度帰宅したあと お母さんはものすごくのどが渇いて水を飲んだ その後倒れてしまって2番めの姉は対応できずに近所の人を呼びに行った。近所の人が助けてくれて布団まで運んでくれた。その1時間後お母さんは苦しみだして2番めの姉は救急車を呼んだ。救急車の中でお母さんは苦しい 死にたい と言っていたそうだ。病院に運ばれてから心臓と呼吸が停まったらしい 蘇生したがどれくらい呼吸が停まっていたのかはわからない。気管に食べたものが入ってしまって窒息したそうだ。胃のヘルニアを起こしていて逆流は容易だったそうだ。 謎な部分がいくつかあるが流れはこんな感じ

書類にサインをした後先生からお話を聞いた

70%は回復するが30%はだめかもしれない すべてが上手く行けば5日で退院できる
看護師さんから聞いた説明と違っていたのでちょっとあっけにとられた
そのまま一時帰宅した
どうすればいいかわからないけど休まなくちゃいけないと思い 自室の布団に入っていた

午前0時過ぎ電話がかかってきた 病院からだ
呼吸が低下している できるだけ急いで来てほしい すべてを悟った
寝ていた一番上の姉を起こし病院に行くぞ とあおった 2番めの姉にはもうだめかもしれないから覚悟するように 立ち止まらないで前に進むことを考えろ と言って家を出た

病院に行くとお母さんは先生と数人の看護師さんの手で呼吸の回復をはかっていた

到着してその状況を見ていた
受け入れられない気持ちがいっぱいだったが・・その時に先生に呼ばれて別室に行った。

先生から説明を受けた 両手に痙攣を起こして呼吸困難になった 脳外科の先生によれば脳障害が起きていて復活は望めない 脳はこれからどんどん機能を停止していく。今日明日の命です と言われた。 なんだか理解できないまま これからどうすればいいかわからないまま そしたら先生がとりあえずお帰りください と言われた 緊急になったら連絡します と言われた

今が緊急なんじゃないの?と思ったが 帰ることにした

帰宅してリビングにいた テレビつけてたけど何も入ってこない 御飯全然食べてなかったからお腹がなってきた でも全然食欲がわかない。今、なにやってるんだろう?って思った。病院から電話を待つために起きてるの? それだったらずっと病院にいれば良かったじゃん いろいろ考えていた。電話は鳴らなかった 明け方7時前 会社に連絡入れて金曜日休ませてもらった。旅行で休む予定の翌週の月、火、水の3日間も予定通り休ませてくれた言った。金曜の朝を迎えたとき ああ、お母さんはこの日の朝を迎えることができたんだ と思った。体も辛いが精神がおかしくなりそうだった

金曜日の午前中 病院に行った 叔父さんと叔母さんがきてくれた。お母さんは意識がなく口を開けていびきを掻いて寝ている感じだった。でも 生きている。耳元でおかあさん と呼びかけると少し反応した。目もちょっとだけ開ける それをみた叔父さんは 反応がいいな 復活する っと言ってくれた。その言葉に勇気づけられた。その日は浅いがなんとか寝ることができた

土曜日、声をかけると反応するうようになった 意識が戻ってきている

日曜日 声をかけると 目を開けて反応した 完全に意識が戻った

月曜日 少し落ちてしまった 酸素飽和料がおちてしまい苦しそうだった

火曜日 管を再び入れてもらったせいか酸素飽和料が戻り呼吸が楽そうだ

水曜日 今日

明日仕事なので予行練習で4時30分に起きれるように目覚ましをかけた
しっかり起きられた お母さんの容態が少しずつ良くなってきているので不安は少なくなってきた。
具合が悪いので風邪薬のんだ

体の温度が上がらないので午前中オフロに入った
叔母さんからラインメッセージがきて今日お母さんの見舞いに来てくれるという

自分は今日も整形外科に行ってリハビリに行った
その後帰宅して1時間後に病院に向かった 時間は13時40分頃

すでに叔母さんは病室に来ていた 叔父さんと叔父さんのお嫁さんも来ていた

叔母さんはお母さんとしきりに話をしている

その姿はびっくりした 昨日までのお母さんとはぜんぜん違うくらい元気になったていた

たくさん話してたくさん笑ってた

サチュレーションは98が普通で100に行くことも珍しくない

なにより 昨日は酸素供給量が7リッターだったのに今日は半分の3,5リッターだった

まだ熱があるがものすごく元気になってる

背中かいてあげようか といったらうなずいて 自ら体を傾けてた

まだまだ油断はできないけど良くなってきている

生死を彷徨い、息ができない苦しさを乗り越えて生還の道を自分の力で切り開いたんだ

今日はものすごく嬉しかった お酒が進んでしまった

明日から仕事なので 病院へは19時頃になる

きっと帰ってこれるさ 信じる

追記
19時30分頃病院から電話かかってきた。胸を締め付けられる思いがした
酒飲んでいてウトウトしていたのが飛び起きた
昼間あんなに元気だったのに 急変????

話をしたらインフルエンザが流行り始めているから病院内では
面会は短く 家族のみ マスクは必ず着用の3つを申し付けられた

ほっと安心だけど 脅かされたぁ