2025年2月9日(日)今日のこと


母が死んでから6年たった
回数は少なくなったがたまに当時のことを思い出すことがある

今日もまた思い出したあのときの時間

病院で意識が戻らない状態の母 否定はしているが心のなかではその時を受け止めなければならないと思っている自分もいた

仕事帰りに病院に寄り母を見舞う バイタル系の音が耳に入ってくる
帰宅して布団に入る 恐怖が襲う 病院からの電話がかかってくるのではないかと
睡眠は浅く良くない夢を見て目醒ると気が多かった

最後に見舞ったときはバイタル系の数値が良かった 翌日母は死んだ 会社から高速を使って病院に行った できるだけ落ち着いて運転をした
母に会う 最初に目に入ったのはバイタル系の数値 0になっていた そしていつも緑色の明かりが付いている場所が赤くなっていた
ああ、これって赤も表示するんだ と思った その後色々やって夜帰宅 布団に入る
一人になると色んな気持ちが襲ってきた 布団に入ったらぐっすり眠れた

その場所は元鉄道の終着駅だった場所 作りはモダンな駅舎で駅長室もあるから最初の頃は有人駅として機能していたのだろう 時間が立ち無人の駅舎になり手入れもあまりされなかったため痛みがどんどんひどくなっていった 現役終焉の頃その姿は廃墟と言ってもおかしくないくらいボロボロだった 路線が廃線になった後その駅は終着駅だったこと モダンな造りの駅舎だったこともあって記念館として残ることになった あれだけボロボロだった駅は廃線後綺麗に復活したのだ
廃線後何年もたった 線路はなくなり 少し先に展示車両が2両 線路の跡地は小さな広場になっていてその延長線上に駐車場が出来た 広場は未舗装で草が生えている その上を歩くと気持ちいい 小さな虫たちが鳴いている その地面から漫画のようなパッチリとした目が目覚めた 目をパチパチさせながらここはどこなのだろう?と思うような仕草でキョロキョロしている 母が病院で意識がなかった時、何度も声をかけたら目がヒクヒク反応した その時の彼女の目を思い出してこの地の虫が鳴く地面に重ねた

母が死んで数週間経ち落ち着いた頃 旅に出た 生前弱ってきているのをなんとなく感じていた自分は仕事で自分がいない間、誰かに、何かに守ってもらおうとすがりついた
小さなことだが般若のお面を買って彼女の部屋に飾り魔を蹴散らしてもらおうと思い出雲市まで般若の面を買いに行く計画を立てた 留守中はおばさんに泊まりに来てもらう事になっていた 出発する2日前に母は倒れ病院に運ばれた 次に母が病院を出たのは亡骸になってからだった お面を飾って彼女を守ってもらうことは出来なかった 時間が経って落ち着いた頃 守って貰う人はいなくなってしまったけどやっぱりお面は買いに行こう 夜行列車の切符を買って旅に出た 夜半 電車の連結器辺りからキーキー音が聞こえた この音は母親が鳴らしているのだろうか?それとも母親そのもの? なんて考えてた このときはどんな形でもいいから母の存在を知りたかった 悲しい一人旅はどこまで行っても美味しいものを食べても酒を飲んでも悲しさが瘉えることはなかった 海に向かって歩いている時母の手を引くような格好をして歩いた 涙が出た すれ違った人に笑われた

週末、家に帰ることが出来なかった 平日は忙しくて翌日も仕事があるから大丈夫だったが時間がある週末家にいるのは辛い 時間が止まった母の部屋を見ているのはほんと辛い
週末は用事もないのに出かけてビジホに停まった

母が死んでほぼ一ヶ月 冬休みに入る 寂しさは最高に達した 週末でも家にいられないのに冬休みはどうすば良いんだ やはり家にいられない
逃げた 家をでて昼から美味しいものを食べ飲んだ 電車に乗って横浜に行った ランドマークタワーに行き展望台に上った 昔付き合っていた女性とここに来て展望台に上ったことがある その時はものすごく混んでいたがこの日は空いていた 展望台に上っても昔を思い出すことはなかった 年末 見る人々はみな楽しそうだ この場所で孤独で寂しさを抱えているのは自分だけだろう 遊園地に行って乗り物を見ていた 寒い中皆たのしそう 何をしても何を見ても何を食べても心の空白は埋まらない 母に対しての後悔が襲ってくる 涙がこぼれた

宿に行く モダンな宿で一風変わっていた レストルームに行くと普段見られないようなものがたくさんあった 他の客があまりこなくその場所で落ち着いた時間を過ごせた

翌日は静岡まで行った 街をぶらっとした イルミが輝いていた 居酒屋に入って酒を飲む 皆楽しそうだ 寂しくて誰かと話したい気持ちがあったのだが誰とも話したくない気持ちが上回っていた 一泊して翌日帰宅した 逃げることは出来ないんだ たとえ逃げても寂しさが追いかけてくるんだ そう悟ったから

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